花ノ札紀に登場する少女・お鈴は、上級遊女・美空太夫のもとで仕える「禿(かむろ)」です。
花ノ札紀の舞台は“架空の遊廓”ですが、物語の背景には吉原遊廓の史実を参照して制作しており、このコラムでも吉原に関する資料をもとに、禿という存在について紹介します。
遊廓で育つ少女たち
幼い頃に売られてきた少女たちは、15歳くらいまで「禿(かむろ)」として過ごします。
先輩の遊女や監督役である遣手(やりて)たちがしつけを行い、礼儀作法や芸事が仕込まれました。
禿は一人の上級遊女に付き、身の回りの世話をしながら遊女としての下積みを積みます。「姉女郎」と呼ばれるこの存在は、禿にとって重要なものでした。食事の給仕や煙草の吸い付けなどの雑用をこなす傍ら、花魁道中に付き添ったり、宴席に同席したりしました。もちろん禿はまだお酌もしませんが、姉女郎のすぐそばで、あらゆることを見て覚えていました。
立ち居振る舞い、言葉遣い、客との距離感、そして嘘にまみれた世界で“本気の恋”を演じるための技_。恋文の書き方、恋しがる演技、手練手管と呼ばれる駆け引きの技術も、姉女郎の振る舞いを見ながら自然と吸収していくのです。
花ノ札紀では、美空太夫がお鈴の姉女郎を担っています。
禿が描かれた浮世絵

雛形若菜初模様・玉や内しら玉/礒田湖龍斎(18世紀)
遊女の一生
15歳前後になると、禿は「振袖新造(ふりそでしんぞう)」として遊女デビューします。
「新造出し」と呼ばれるお披露目の際には、華やかな衣装や装飾品が用意され、その費用は姉女郎が負担していたといわれています。
その後、妓楼の信頼のおける客と初体験を済ませる(=水揚げ)と、「突出し」と呼ばれる正式な客付きデビューを経て、はじめて一人前の遊女となります。
デビュー後は新造として雑居部屋で暮らし、人気のある一部の遊女だけが「花魁(おいらん)」となり、個室を持つことができます。
ちなみに、花魁とは、上級遊女に対する吉原特有の敬称であり、芸事・教養・色香を兼ね備えた、まさに選ばれし存在です。
中には大金で身請けされ、吉原を出ていく花魁もいましたが、それはほんの一握り。多くは二十代のうちに病に倒れ、一生外の世界を知ることなく、この世を去りました。
運よく年季明け(おおよそ27歳前後)を迎えて吉原を出られたとしても、その先に待つのは決して明るい未来とは限りません。
遊女として生きてきた彼女たちは、家事や世間の常識から離れた生活を送ってきたため、外の世界で生計を立てる術に乏しく、結果として別の遊廓へ流れてゆくか、吉原に出戻って所帯を持つという道を選ぶことがほとんどでした。
その華やかさの裏には、過酷な現実が常に寄り添っていたのです。
おわりに
花ノ札紀に登場する禿・お鈴もまた、こうしたしきたりの中で生きる少女として描いています。幼い頃から遊廓で育ち、外の世界を知らないお鈴にとって、目に映る愛はすべて演じられたもの嘘でした。彼女がどう生き、愛をどう捉えてゆくのかに着目しながら、作品を楽しんでいただけたら幸いです。 遊廓という題材を扱うにあたっては、その背後にある歴史や現実を無視することはできません。実際の遊廓では、幼い少女が売られ、自由を奪われたまま生涯を終えるという、人権侵害にあたる数々の行為が行われていました。そうした事実が二度と繰り返されてはならないという前提のもと、制作にも慎重を期しています。 華やかな衣装や儀式だけを取り上げることも、逆に“悲劇の象徴”として消費することも、私の描きたいこととは少し違います。表現に正解はないからこそ、一方的な美化にも悲観にも偏らず、彼女たちが置かれた状況と、そこにあった感情や関係性に丁寧に向き合っていかねばなりません。 花ノ札紀をきっかけに、遊廓の歴史やそこに生きた人々の現実に興味を持ち、「自分はこの世界をどう捉えるか」と考えるきっかけになってくれたら。
それが、私のささやかな願いです。
文責:るーぱあP
参考文献
永井義男,図説 吉原辞典,朝日文庫,2015
安藤 優一郎,江戸の色町 遊女と吉原の歴史,株式会社カンゼン,2016
画像出典
国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-2244?locale=ja )